輪廻を断ち切るには? 死に戻りしない方法こそ苦しみから解き放たれる🕊

輪廻とは?

死んだあとまた生まれ変わり人生を再び歩むことを輪廻と呼びます

そして輪廻は苦しみ

輪廻から抜け出すことこそ永遠の安らぎを得られるのです


初七日と49日の解釈

終えた世界の次であり、輪廻する世界の前に位置する時期が初七日と呼ばれます

この部分は罪の裁きの期間と考え、罪の重さを遺族の祈りで祓うという生者と死者を繋ぐ期間となります

最大で三回忌までに祈りにより死者の罪の重さを緩和できると考えることもあるようです

が、ここではこのような解釈をしていきます

初七日は輪廻することへの欲望を掻き立てられ、初七日を耐えきると49日間輪廻しないことによる恐怖を与えられる

この裁きの様はまさに地獄の閻魔様の様相

仏とは人へ試練を与えるモノです
閻魔様とは仏のことと捉えて良いです

あながち後発宗教の説と離れてはないのです

そもそも、宗教の原点は最初のお話の通りすべての欲望(煩悩)を捨てて無へと向かうことこそが目指すところであると言っています

仏陀が輪廻の実在を把握していたとしても容認できないのは輪廻することこそ最大の苦しみであることを知っていたからでしょう


例え話 除夜の鐘

少し話を広げます

皆さんは除夜の鐘を聞いたことがありますか?

108の煩悩を消し去ることこそ除夜の鐘の目的

多くの宗教に「無」という漢字が出てくるのは「無」こそ苦しみのない人が還る場所だと言っているからなのです

お経を見てもらうとよくわかりますよ💡

この文章をここまで読んで?がついた方

合ってます💡

多くの人は死を嫌い、転生したがるものです

そのため人が死ぬと悲しみます

人の本質、真実から逃げたくなるのが人
欲望や煩悩を楽しむのが人
だから死を恐れ悲しみ死から逃れようとすらします

秦の始皇帝が不老不死を求めたことは有名ですよね?

もともと様々な宗教の発端は無を目指しているのに、とある時点で多くの人が欲しがる欲望に合わせ原点を捻じ曲げ、真実から目を背け都合よく解釈しなおしていったものが今に至るのです

そして儀式や言葉の断片だけが残り続けたため、除夜の鐘や、「神、仏への祈り=欲望を願う」へとシフトしていったのでしょう

本来、死者に対しての裁きとは生きていた時に欲望、煩悩を全て捨てたかのジャッジなのです
そして、欲を持っていればまた人として生まれ変わり、その欲望の数だけ前世より苦しみの増す世界へ生み堕とされるのです


無への回帰

無の存在に気づくと、人は元いた場所に還りたくなるのです

その場所こそが「無」

無へ憧れ始めると人が死ぬことは幸福への第一歩かもしれないと考えることに切り替わっていきます

二度と蘇らないように、二度と転生しないように、それが死者の幸福であると

このことがわかると残された者は死者に対して宴で見送る感覚すら芽生えるのです💡

そうやって人は今世に未練のないよう、欲望、煩悩を捨て慈愛が芽生え、自らの使命に気づき苦しみに立ち向かい全うすることを心から理解し、業をしっかり背負っていくのです


人の本質

私の場合、上記の内容に自力で達した後、各宗教の考え方を学び、人は同じ結論にたどり着くのだと理解しました

多くの人が蓋を開けたくない真実への探求はすべての宗教家が行なっており、そしてその道をたどることが出来ない多くの人たちのために幸福の会得と苦しみからの解放方法を書物や儀式として残しているようです

圧倒多数は死者が戻ってくると勘違いしており、知らずして宗教の原点である死者を無に還し、欲望、煩悩を捨てようと儀式を行なっているのです

無への回帰に限らず、人は本質を突かれると心が大きく揺れ動きます
そして、目が離せなくなってしまいます
途中で未知の感覚に恐怖します
故に目を背けてしまうのです

だからこそ輪廻転生が存在してしまう

そして今科学は進んでゆき、輪廻転生がありうる、並行世界の存在可能性を発見するなど「本質の証明」がされつつあるのです

このことを否定する人は転生することへの恐怖心が大きいはずです
並行世界は転生先にもなり得ます
そこには似た苦しみで溢れています

私は決して転生をおすすめしません
ここと同じかそれ以上の苦しみで溢れ、時にはあまりの苦しみに自ら命を落とさざるを得ない並行世界もあります

そうやって背負った業から逃げ出した時、転生はさらに繰り返され大きな苦しみを背負わさられるのです

苦しみを持ち越しするのではなく終わらせなければ永遠に転生しかねません

※業とは
あなたがこの世とあの世の境で転生を選択してしまった時の欲望、煩悩のことを指します
あなたは責任を持ち今世で業を背負いひとつずつ消化していかない限り業は減ることなく転生が繰り返されます


人の向かうべき道

私たちが目指すべきなのは「無」

本来いた場所に還ることであり、生み堕とされないようにすることなのです

ここで、こちらの歌をお聴きください

私も似たようなオリジナル曲を書いてますが、ここは有名なこちらの曲でご紹介します

生み堕とされることとはどういうことかなんとなく掴めるのではないでしょうか?


輪廻を断ち切るには? 死に戻りしない方法こそ苦しみから解き放たれる🕊

輪廻を断ち切るには? 死に戻りしない方法こそ苦しみから解き放たれる🕊

輪廻を断ち切る意味はお分かり頂けかと思います

死に戻りとは輪廻転生のことです

すごくわかりやすく言えば、Re:ゼロから始める異世界生活というアニメと同じ状況が繰り返されるのです

・ちょっと箸休めにこんな話を

私の肉親が逝ったことは一切伝えられなかったのですが感覚で知りました
そして初七日内に選択し、私へお別れの挨拶に来たことも分かりました
次の世界へ旅立ったことは昨日仏の使い(神とは違いました)から伝えられました
(その時にいくつかの世界に対する啓示もありましたがそれはまたのご機会に)

「本当の愛」をこの世で掴めた人だったので次の世界に旅立つということはなにかしら「未練」がありやり残したことをするため転生を選択したのでしょう
私は仏の使いに生まれ変わる来世の肉親へ伝えられなかったメッセージを託しました

※未練もやはり欲の一種です


おわりに

まだまだここに書いていないことをたくさん神から試練として与えられています
そして今回もなるべくみなさんが分かりやすいよう身近なもので例え話にしていますが、私自身が実際捉えていることをいつか段階を追いながら書いていけたらと考えています

興味がある方、ぜひお声がけください😊

そして、死者とうまく向き合えない方、ぜひこの文章を読んで逝った人の幸福を願ってください

ツイッターでもお気軽に話しかけてくださいね☺️

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